林投姐

林投姐(リントウジェ[1][2]、ナータォジー[3])は、台湾の妖怪[2][3]。「林投」(アダン、タコノキ)の木で首吊り自殺し、幽霊となった清代の女性[1]。
物語
[編集]清朝統治時代・光緒年間の台南に、李昭娘(り しょうじょう)という未亡人の美女がいた[3]。彼女は亡夫の遺産で三人の幼子と暮らしていた[2]。
李昭娘は、亡夫の友人・周阿司(しゅう あし)と恋仲になるが、彼の狙いは遺産を奪うことだった[3]。周阿司は、大陸の汕頭から来た商人であり、台湾の樟脳を香港で売るため資金が必要だと言う[3]。李昭娘は彼を信じて遺産をすべて差し出し、銭荘で借金までするが、周阿司は大陸に行方をくらましてしまう[3]。
騙されたと気付いた李昭娘は、何日も泣き続ける[3]。子供のうち二人が餓死し、家を借金取りに奪われてしまう[3]。行き場を失い、アダンの木に辿り着くと、三歳の末娘を絞め殺した後、自らも首を吊って自殺した[3]。
その後、付近に女の幽霊が出るようになった[3]。幽霊が露天商から粽を買うと、その代金は冥銭だった、といった災いが起きるようになった[1]。民が幽霊のために廟を建てると、災いは止んだ[1]。
あるとき、周天道(しゅう てんどう)という占い師が彼女に出会った[3]。周天道は彼女の恨みを晴らすため、神主牌(儒教の祭具)を使って彼女を移動できるようにした[3]。彼女は大陸に渡り、周阿司を発狂させて妻子を殺させた後、彼を絞め殺した[3]。
背景
[編集]資料によって物語が異なる[2][3]。以上の物語は、廖漢臣『清代台湾三大奇案』(1955年)に基づく[3]。他の資料に日本統治時代の片岡巌『台湾風俗誌』(1921年)などがある[1][3]。
清朝統治時代の台湾では、女性は大陸との往来を禁じられていた[1]。林投姐の物語は、当時の女性の社会的地位の低さを反映している[1][2](中国の女性史)。同様の女性の物語として陳守娘の物語がある[1][2]。
林投姐は、図像では傘をさした姿で描かれることが多い[1]。傘や木の陰は、陰陽説の「陰」を表すと考えられる[1]。粽は、縊死した死者に粽を供える送粽という行事に関連すると考えられる[1]。幽霊が冥銭で買い物する、という描写は中華圏の怪談に多い[1]。
アダンの木は、現在の台湾では希少になっている[2][3]。物語中にあるアダンの木と廟は実在したが、1920年に都市開発のため撤去された[1][3]。
受容
[編集]たびたび台湾の演劇(歌仔戯)[4]や台湾映画・台湾ドラマになっており[1][2]、1956年『林投姐』、1972年『可恨的人』、1979年『林投姐』[3]、1988年『林投姐』[5]などがある。
脚注
[編集]- ^ a b c d e f g h i j k l m n 伊藤龍平「傘をさす幽霊―台湾の怪談いま・むかし―」、朝里樹『世界現代怪異事典』笠間書院、2020年。ISBN 978-4-305-70925-7。333-336頁。
- ^ a b c d e f g h 何敬堯 著、出雲阿里 訳『台湾の妖怪図鑑』原書房、2024年。ISBN 978-4562074068。142-146頁。
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s 何敬堯 著、甄易言 訳『図説 台湾の妖怪伝説』原書房、2022年。ISBN 978-4562071845。162-167頁。
- ^ 小峱峱『守娘 上』KADOKAWA、2023年。ISBN 9784046826251。Kindleの位置No.186
- ^ 三須祐介「台湾現代文学のなかの「鬼」の形象 : 陳思宏『亡霊の地』と台湾における鬼月の観察を手がかりに」『立命館言語文化研究』35 (1)、立命館大学国際言語文化研究所、 2023年。CRID 1390579631600913536。3頁。