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湊川公園

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湊川公園
湊川公園
所在地
座標 北緯34度40分46秒 東経135度10分0秒 / 北緯34.67944度 東経135.16667度 / 34.67944; 135.16667座標: 北緯34度40分46秒 東経135度10分0秒 / 北緯34.67944度 東経135.16667度 / 34.67944; 135.16667
面積 2.3ha
開園 1911年
運営者 神戸市
現況 使用中
設備・遊具 遊具広場・多目的広場・モニュメント(楠正成像、カリヨン等)・花壇・トイレなど
駐車場 300台
事務所 神戸市中部建設事務所
事務所所在地 兵庫区湊川町2-1-12
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湊川公園(みなとがわこうえん)は兵庫県神戸市兵庫区にある都市公園湊川の戦いの古戦場に位置する[1]

概要

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1901年に付け替えられた湊川の旧河道を利用して設置されている[2]。公園内に楠木正成像、神戸タワーを記念したカリヨン時計塔などがある。

天井川だった湊川の旧河道は、上流側は旧堤防の高さまで旧河床を埋め立て、下流側は両岸と同じ高さまで旧堤防を切り崩して整地された[2]。当公園は上流側に位置するため、両岸よりも高くなっている当公園を東西に横断する道路(山手幹線)は湊川トンネルとなっている[2]。この山手幹線の道路下に地下鉄湊川公園駅がある。湊川トンネルより南側には当公園の地下に「ミナエン商店街」が広がっており、当公園より南側には湊川の旧河道に沿って新開地商店街が伸びている[2]

歴史

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1897年11月から1901年8月にかけて実施された湊川付替工事によって生じた埋立地にあり、1900年神戸市会でその一部を公園に指定する案が出され、1911年に設置された[1]。当時は湊川遊園地と呼ばれた[3]

1914年(大正3年)3月から5月に湊川公園で第2回貿易製産品共進会が開催され、その終了後に本館と付属建物が神戸市に寄付され、園内最初の施設「勧業館」となった[1]。1925年には日本絹業博覧会、1928年(昭和3年)には御大典記念奉祝神戸博覧会の会場になった[1]

1918年(大正7年)8月、他の都市で米騒動1918年米騒動)が激化すると、神戸市内にも「十日午後七時より湊川遊園地において一大市民大会を開催せんとす。」とするビラが貼られた。同月8月10日には警察による警戒もあり、集会は行われなかったものの、同月8月12日朝には多数の市民が公園に集合。扇動者の指示の下、鈴木商店総本店へ向けて移動し、同商店を焼き打ちした[4]

1928年(昭和3年)に公園の地下(周囲の地平と同一面)に神戸有馬電気鉄道(現・神戸電鉄)の湊川駅が設けられた。1924年(大正13年)から1968年(昭和43年)まで公園内に神戸タワーがあった。

2008年(平成20年)から2010年(平成22年)にかけて改修工事が行われ、園内の芝生ゾーンにガーデニング広場が誕生した[5]

湊川公園内には湊川交番があったが、2023年(平成25年)1月に200メートルほど北に移った[6]

画像

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周辺施設

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脚注

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  1. ^ a b c d 中川 祐希「近代における都市空間形成を通じた「市民」形成―米騒動後の湊川公園の変容過程を事例として―」『人文地理』第71巻第3号、人文地理学会、2019年、221-244頁。 
  2. ^ a b c d 神戸スタディーズ”. KIITO デザイン・クリエイティブセンター神戸. pp. 18-19. 2023年4月15日閲覧。
  3. ^ 『東の浅草・西の新開地』”. 三井住友トラスト不動産. 2025年10月15日閲覧。
  4. ^ 「鈴木商店、神戸新聞社焼き打ちされる」『大阪毎日新聞』1918年(大正7年)8月13日号外(大正ニュース事典編纂委員会『大正ニュース事典第3巻(大正6年-大正7年)』本編p.196 毎日コミュニケーションズ刊 1987年)
  5. ^ 美緑花ボランティアだより”. 神戸市. 2023年4月15日閲覧。
  6. ^ 「安全と安心の象徴になるような交番に」兵庫警察署 湊川交番で開所式”. サンテレビ. 2023年4月15日閲覧。

外部リンク

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