森菊蔵
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| 森 菊蔵 もり きくぞう  | |
|---|---|
| 別名 | 槍 一之[1] | 
| 生誕 | 1927年5月4日[2] | 
| 出身地 | 
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| 死没 | 1997年1月21日(69歳没)[3] | 
| 学歴 | 慶應義塾大学 卒業 | 
| ジャンル | 市町村歌、音頭 | 
| 職業 | 
詩人 作詞家 ラジオパーソナリティ  | 
| 活動期間 | 昭和・平成時代 | 
| 事務所 | 株式会社東京企画 | 
| 共同作業者 | 狛林正一 | 
森 菊蔵(もり きくぞう、1927年5月4日[2] - 1997年1月21日[3])は昭和・平成期日本の詩人、作詞家、ラジオパーソナリティ。日本詩人クラブ会員。
別名義に槍 一之(やり かずゆき)がある[1]。
来歴
[編集]群馬県桐生市出身[2]。旧制桐生中学校を経て、慶應義塾大学在学中より地元の群馬2区選出であった衆議院議員・長谷川四郎の秘書を務める[1]。福田正夫の知遇を得て主観社文学会へ入会し、後に『日本詩壇』復刊へ参加した[4]。1955年(昭和30年)、詩集『背後』を刊行。
詩人として活動する傍ら日本抵抗器工業振興会事務局長やNETテレビ番組企画委員を務め、1965年(昭和40年)に株式会社東京企画を設立して以降はいわゆる「代議士ソング」や市町村歌、音頭の企画を精力的に売り込んでいた。1968年(昭和43年)、第8回参院選に全国区から無所属で立候補したが落選。
ニッポン放送で1972年(昭和47年)から1974年(昭和49年)にかけて「森菊蔵ショウ」「森菊蔵の早起きおじさん」のパーソナリティを務めている。
1997年(平成9年)1月21日死去[3]。享年71(満69歳没)。
主な作品
[編集]注記のない場合は本名。
詩集
[編集]- 背後(光線書房、1955年) NDLJP:1354944
 - 風韻(土曜美術社出版販売、1994年) ISBN 4-8120-0523-X
 - 青春(土曜美術社出版販売、1995年) ISBN 4-8120-0530-2
 - 百花(土曜美術社出版販売、1995年) ISBN 4-8120-0538-8
 - 未来(土曜美術社出版販売、1996年) ISBN 4-8120-0593-0
 
作詞
[編集]→「Category:森菊蔵が制作した楽曲」および「Category:森菊蔵が補作した楽曲」も参照
- 自治体歌
 
- 三郷市民の歌(作曲:狛林正一)
 - 君津市民の歌(作曲:狛林正一)
 - 燕市民歌(作曲:高木東六)
 - ニセコ町のうた(作曲:狛林正一)
 - 富岡わがまち(作曲:前田俊明)
 - 美浜町民の歌(作曲:松山かずお)
 - 内原町民の歌(作曲:押尾司)
 
- 音頭
 
- 政治家のテーマソング
 
- CMソング
 
参考文献
[編集]- 『現代人物事典 出身県別・東日本版』(サン・データ・システム、1980年) NCID BN06828321