徳住
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徳住(とくじゅう、安永6年(1777年) - 天保13年(1842年)8月23日)は、江戸時代後期の浄土宗の僧侶。徳本の高弟として知られ、愛知県岡崎市の九品院を開山した。転蓮社入誉真阿(てんれんしゃにゅうよしんあ)とも称された[1]。
人物・経歴
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学歴・修行
[編集]1777年、三河国碧海郡志貴ノ庄大浜浦中村で漁師・角谷繁ヱ衛門の子・豊次郎として生まれた[2]。1785年に尾張国雲谷寺で真誉大中のもと出家し、真淳と命名された[1]。1801年、増上寺で智堂より両脈を相承[1]。1815年には伝通院で徳本の説法を聴聞し弟子入りし[3]、1816年に西方寺で徳本から徳住の名を授かった[1]。
主な活動
[編集]思想・業績
[編集]- 徳本の教えの継承:師・徳本から授かった「道心房 唯申せ 南無阿弥陀仏と 一以て これをつらぬけ」の偈を生涯の指針とした[2]
- 厳格な戒律:肉食妻帯を排し、浄土律の実践を重視[3]
- 社会事業:天保の飢饉(1833年-1839年)において災害救済に尽力したと伝えられる[5]
主な著作
[編集]- 『真阿徳住上人行業雑記』(弟子による記録)[1]
関連書籍
[編集]- 『しんしろ十一所徳本上人・徳住上人名号碑めぐり』新城市教育委員会 2019年