冨田功
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冨田 功(とみた いさお、1957年3月15日[1] - 2002年10月18日[1])は、日本映画の編集技師[2]。東京都出身。妻でやはり編集技師の冨田伸子と2人で編集を手がけることもあった[注 1]。
経歴
[編集]日活芸術学院を経て日活撮影所に入社。数多くの作品で編集技師として活躍し独立。第14回日本アカデミー賞[3]、第17回日本アカデミー賞で最優秀編集賞を受賞した。
2002年10月18日午後10時46分、肺癌のため急死。最後の参加作品『壬生義士伝』のエンドクレジットの終わりには、冨田に敬意を表す旨のテロップが添えられた。
代表作
[編集]テレビ
[編集]映画
[編集]- 1983年 『みゆき』
 - 1984年 『晴れ、ときどき殺人』、『OL百合族19歳』
 - 1985年 『ラブホテル』『台風クラブ』
 - 1986年 『ア・ホーマンス』、『ボクの女に手を出すな』
 - 1987年 『私をスキーに連れてって』『黒いドレスの女』
 - 1988年 『猫のように』、『1999年の夏休み』、『ラスト・キャバレー』、『木村家の人びと』、『快盗ルビイ』、『悲しい色やねん』
 - 1989年 『ジュリエット・ゲーム』、『Aサインデイズ』、『彼女が水着にきがえたら』、『どっちにするの。』、『バカヤロー!2 幸せになりたい。』、『べっぴんの町』
 - 1990年 『病院へ行こう 』、『香港パラダイス』、『バカヤロー!3 へんな奴ら』、『櫻の園』、『女がいちばん似合う職業』
 - 1991年 『![ai-ou]』、『夜逃げ屋本舗』『波の数だけ抱きしめて』、『就職戦線異状なし』、『咬みつきたい』
 - 1992年 『マンハッタン・キス』、『エンジェル 僕の歌は君の歌』『病は気から 病院へ行こう2』
 - 1993年 『国会へ行こう!』、『卒業旅行 ニホンから来ました』、『僕らはみんな生きている』
 - 1994年 『怖がる人々』、『とられてたまるか!?』、『毎日が夏休み』、『河童』
 - 1995年 『ガメラ 大怪獣空中決戦』(編集補佐)、『さよならニッポン!』
 - 1996年 『ボクの女に手を出すな』、『That's カンニング! 史上最大の作戦?』、『月とキャベツ』
 - 1997年 『シャ乱Qの演歌の花道』、『Lie lie Lie』
 - 1998年 『F (エフ)』
 - 1999年 『ガメラ3 邪神覚醒』、『秘密』、『お受験』
 - 2000年 『クロスファイア』、『死者の学園祭』
 - 2001年 『ゴジラ・モスラ・キングギドラ 大怪獣総攻撃』[1]
 - 2002年 『命』
 - 2003年 『壬生義士伝』
 
プロモーション
[編集]脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ 夫婦で手がけた作品には、『12人の優しい日本人』(1991年)、『陰陽師』(2001年)、『命』(2002年)、『壬生義士伝』(2003年)などがある。
 
出典
[編集]- ^ a b c 野村宏平、冬門稔弐「3月15日」『ゴジラ365日』洋泉社〈映画秘宝COLLECTION〉、2016年11月23日、78頁。ISBN 978-4-8003-1074-3。
 - ^ 共同通信 (2002年10月19日). “冨田功氏死去 映画編集者”. 47NEWS. 2013年4月30日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年3月11日閲覧。
 - ^ “第14回日本アカデミー賞 優秀賞”. 日本アカデミー賞公式サイト. 日本アカデミー賞協会 (1991年3月22日). 2025年6月8日閲覧。
 
参考文献
[編集]- 『映画の賞辞典』日外アソシエーツ、2009年。ISBN 4-8169-2223-7、ISBN-13:978-4-8169-2223-7。
 - 『映画賞受賞作品事典 邦画編』日外アソシエーツ、2011年。ISBN 4-8169-2312-8、ISBN-13:978-4-8169-2312-8。
 
外部リンク
[編集]- 冨田功 - 日本映画データベース
 - 冨田功 - allcinema
 - 冨田功 - KINENOTE
 - 冨田功 - MOVIE WALKER PRESS
 - Isao Tomita - IMDb