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仁藤

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
日本 > 静岡県 > 掛川市 > 仁藤
仁藤
大字
仁藤の航空写真
(2020年6月16日撮影)
地図北緯34度46分40.90868秒 東経138度1分13.93784秒 / 北緯34.7780301889度 東経138.0205382889度 / 34.7780301889; 138.0205382889座標: 北緯34度46分40.90868秒 東経138度1分13.93784秒 / 北緯34.7780301889度 東経138.0205382889度 / 34.7780301889; 138.0205382889
日本の旗 日本
都道府県 静岡県の旗 静岡県
市町村 掛川市
人口情報(2024年3月末日[1]
 人口 361 人
 世帯数 150 世帯
設置日 1889年
郵便番号 436-0071
市外局番 0537(掛川MA
ナンバープレート 浜松
ポータルアイコン ポータル 日本の町・字
ポータルアイコン ポータル 静岡県
プロジェクト 日本の町・字
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仁藤(にとう)は、静岡県掛川市にある大字

地理

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静岡県掛川市の北部に位置する。合併前の旧掛川市においては南部に位置していた。逆S字状の大字である。住居や神社仏閣などがみられ、南端は逆川に接している。

近隣には大字の名称と集落の名称とが一致しない地が散見されるが、仁藤においては大字としての住所表記は「仁藤」[2]と記され、集落としては他の大字とともに「仁藤」[3]を構成している。なお、大字としての仁藤に関する一帯には、掛川市の自治区である旭町区が置かれている[4]。旭町区は神明宮の氏子区域であり[5]、掛川祭では山車の曳き回しなどを行っている[6]

河川

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歴史

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仁藤と呼ばれている地には、もともとは自然村である遠江国佐野郡仁藤村が置かれていた[7][8]。そもそも掛川城が築かれる前は、神代地川から東が仁藤村の村域となっていた[8]。その後、文禄年間から慶長年間にかけて山内一豊が掛川城の城下町を整備した[9]。慶長6年には徳川家康が宿駅制を定め[10]、東海道の宿場町として掛川宿が整備されることになった。これを受け、仁藤村のうち東海道に近接する部分は仁藤町として独立したうえで[7][8][9]、掛川宿に組み込まれることになった[7][10]。その結果、仁藤村の村域は逆川から東にまで後退するとともに、掛川宿の領域は神代地川の東にまで及ぶこととなった[7]。これ以降、自然村である仁藤村と、掛川宿の町丁である仁藤町とが、同時に並存する状態となった。

仁藤村は、山内氏領となったが[10]江戸時代に入ると掛川藩領となった[10]。『角川日本地名大辞典』によれば、仁藤村の鎮守社は神明宮とされている[10]。仁藤村は、明治元年には駿府藩領となり[10]、明治2年には静岡藩領となった[10]。一方、掛川宿も、山内氏領となったが[11]、江戸時代に入ると掛川藩領となった[11]。仁藤町の鈴木家と大場家が掛川宿の問屋を務めていた[10]。『角川日本地名大辞典』によれば、掛川宿のうち仁藤町の鎮守社は分離元である仁藤村に鎮座する神明宮とされている[10]。掛川宿は、明治元年には駿府藩領となり[11]、明治2年には静岡藩領となった[11]

この仁藤村については、全域がのちの大字としての「仁藤」に該当する[7]。一方、掛川宿の仁藤町は、大部分がのちの大字としての「仁藤町」に該当するが[8]、一部はのちの大字としての「仁藤」に該当する[8]

町村制が施行された1889年(明治22年)に掛川宿、下俣町、十九首町、仁藤村の大部分、大池村の一部、葛川村の一部は合併することになり、掛川町が発足した。その際に従来の宿駅や自然村は大字とされることになり[10]、掛川町の大字として「仁藤」が設置された[10]。仁藤村の村域は、この大字としての仁藤となった[10]。その後の度重なる市町村合併を経て、この地は掛川市の一部となった。なお、掛川宿の仁藤町については、1889年(明治22年)に掛川町の大字として「掛川」が設置され[10]、この大字の一部となっている[10]。しかし、後年になって大字としての掛川は細分化され、大字としての「仁藤町」が掛川から独立を果たした。

沿革

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  • 1871年 - 佐野郡静岡県に移管。
  • 1871年 - 佐野郡が浜松県に移管。
  • 1876年 - 佐野郡が静岡県に移管。
  • 1889年 - 静岡県佐野郡掛川宿、下俣町、十九首町、仁藤村の大部分、大池村の一部、葛川村の一部が合併して掛川町を設置。掛川町の大字として仁藤を設置[10]
  • 1896年 - 静岡県佐野郡、城東郡が合併して小笠郡を設置。
  • 1954年 - 静岡県小笠郡掛川町が曽我村東山口村を編入して掛川市を設置。

世帯数と人口

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2024年(令和6年)3月末日現在の世帯数と人口は以下の通りである[1]

大字 世帯数 人口
仁藤 150世帯 361人

事業所

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2021年(令和3年)現在の事業所数と従業員数は以下の通りである[12]

大字 事業所数 従業員数
仁藤 16事業所 45人

小・中学校の学区

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公立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[13][† 1]

自治区 小学校 中学校
旭町区 掛川市立第一小学校 掛川市立東中学校

交通

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バス

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道路

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施設

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その他

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郵便

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警察

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警察の管轄区域は以下の通りである[19]

番地 警察署 交番・駐在所
全域 掛川警察署 掛川駅前交番

消防

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消防の管轄区域は以下の通りである[20]

番地 消防署・分署 消防団分団
全域 中央消防署 第一分団

自衛隊

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陸上自衛隊の管轄区域は以下の通りである[21]

番地 方面隊 師団・旅団 部隊
全域 東部方面隊 第一師団 第三十四普通科連隊

脚注

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註釈

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  1. ^ 静岡県掛川市のうち旧掛川市においては、自治区ごとに小・中学校の学区が定められている[13]

出典

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  1. ^ a b 令和6年3月末日現在掛川市人口・世帯数』7頁。
  2. ^ a b 「ナ行」『郵便番号 4360071 の検索結果 - 日本郵便日本郵便
  3. ^ 「地図表示」『仁藤 (2221301011) | 農業集落境界データセット情報・システム研究機構データサイエンス共同利用基盤施設人文学オープンデータ共同利用センター
  4. ^ 「地区・自治区・小区――掛川区域」『地区・自治区・小区 掛川区域 - 掛川市掛川市役所、2020年4月8日。
  5. ^ 掛川市著『掛川市歴史的風致維持向上計画』2018年1月、79頁。
  6. ^ 掛川市著『掛川市歴史的風致維持向上計画』2018年1月、資料編7頁。
  7. ^ a b c d e 平凡社稿「仁藤村」『仁藤村(にとうむら)とは? 意味や使い方 - コトバンクDIGITALIO・C-POT。
  8. ^ a b c d e 平凡社稿「仁藤町」『仁藤町(にとうまち)とは? 意味や使い方 - コトバンクDIGITALIO・C-POT。
  9. ^ a b 「掛川城下の地名」『お茶街道[地名のお話]掛川城下町の地名』お茶街道文化会、2000年4月17日。
  10. ^ a b c d e f g h i j k l m n o KADOKAWA稿「仁藤村(近世)」『解説ページ』エア。
  11. ^ a b c d KADOKAWA稿「掛川宿(近世)」『解説ページ』エア。
  12. ^ 「経済センサス‐活動調査/令和3年経済センサス‐活動調査/事業所に関する集計――産業横断的集計――事業所数、従業者数(町丁・大字別結果)」『経済センサス‐活動調査 22 静岡県 31 経営組織(2区分)、産業(中分類)別全事業所数及び男女別従業者数-市区町村、町丁・大字 | ファイル | 統計データを探す | 政府統計の総合窓口統計センター
  13. ^ a b 「掛川市内小・中学校通学区一覧」『掛川市内小・中学校通学区一覧 - 掛川市掛川市役所、2025年4月1日。
  14. ^ 「旭町公会堂」『旭町公会堂 - 掛川市家庭の避難計画』掛川市危機管理課。
  15. ^ 「神明宮」『神明宮 - 静岡県神社庁静岡県神社庁
  16. ^ 「基本情報」『神宮寺 - 曹洞禅ナビー寺院検索― 曹洞宗公式 寺院ポータルサイト曹洞宗宗務庁
  17. ^ 「日蓮宗全寺院マップ」『静岡県 掛川市|日蓮宗全寺院マップ|寺院めぐり|日蓮宗ポータルサイト日蓮宗宗務院
  18. ^ 「基本情報」『真如寺 - 曹洞禅ナビー寺院検索― 曹洞宗公式 寺院ポータルサイト曹洞宗宗務庁
  19. ^ 「掛川駅前交番」『掛川駅前交番|静岡県警察』静岡県警察本部、2025年7月1日。
  20. ^ 掛川市消防本部編集『消防年報』令和2年版、掛川市消防本部、2021年4月、69頁。
  21. ^ 「第34普通科連隊」『陸上自衛隊 第1師団 第34普通科連隊第1師団

関連項目

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