ノート:第二次世界大戦下の日本
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改名提案
[編集]表にも記載しましたが、プロジェクト:軍事史/カテゴリの分類#軍事地理学のカテゴリにおいて、「地域、国家などを主題とした分類」の定義を提案しております。
それに付随する形で、第一次世界大戦中の日本のように改名しています。
「第二次世界大戦中の日本」か、「第二次世界大戦における日本」などが考えられますが、いかがでしょうか?--Wikkyshor(会話) 2025年3月9日 (日) 11:40 (UTC)
反対 戦中も戦下も同じ意味である以上、改名する意味がない。--taisai429(会話) 2025年3月17日 (月) 19:28 (UTC)
それは暴論でしょう。辞書引いてください。--Wikkyshor(会話) 2025年3月18日 (火) 00:44 (UTC)
- 辞書を引けとおっしゃるからには、どのように異なるか説明できるのでしょうか。そもそも個別に改名提案を提起されたからには、両者がどのように異なるかは最初から説明がなされてしかるべきだと思います。--taisai429(会話) 2025年3月18日 (火) 01:00 (UTC)
- 同じことを個別に議論したらきりがないので、プロジェクトで議論し、解説へのリンクを提案時に記載しました。何が言いたいのか分かりかねます。揚げ足取りですか?--Wikkyshor(会話) 2025年3月18日 (火) 02:59 (UTC)
- 提案に対する理解を得ようと考えるのであれば提示した「解説」のどの辺りにこの項目を改名しなければならないかが記載されているかについて説明すべきですし、実際にその「解説」のリンクを開いてみてもこの項目が「戦中」でなければならない理由はどこにも解説されていないように見受けられます。「戦中」で検索してみたら引っかかったのは「それをまとめたカテゴリは有用かもしれません」という一文のみで、記事の改名にかかわる記述でないことは明らかです。どこか別の場所で先行議論があるというのであれば、当然それをこの場においても提示しなければ話になりません。揚げ足取りというのは説明が尽くされたうえでなお些末な事項に拘泥するような姿勢をいうのであって、そもそも説明が足りていないことを指摘した私のコメントは全く揚げ足取りではありません。--taisai429(会話) 2025年3月18日 (火) 03:26 (UTC)
- 辞書を引けとおっしゃるからには、どのように異なるか説明できるのでしょうか。そもそも個別に改名提案を提起されたからには、両者がどのように異なるかは最初から説明がなされてしかるべきだと思います。--taisai429(会話) 2025年3月18日 (火) 01:00 (UTC)
遅らせばながら、#軍事地理学のカテゴリから#軍事地理学の分類へ変更にしており、失礼しました。確かに、プロジェクトにおける解説が、軍事史に足を踏み入れたことがない方に対して、説明が不足している部分があることを認めます。リンクの付け替えなど杜撰さがあったことも認めます。
しかし、最初から第一次世界大戦中の日本へのリンクも貼ってあることから、個別案件ではないことぐらいわかることですし、同じく提案時に「地域、国家などを主題とした分類」の定義と申し上げており、絶対に「戦中」にすべしなんて話はしてません。プロジェクトやノートを覗けば、それだけだけではないことは明白です。揚げ足取りとは言い過ぎたかもしれませんが、「戦中も戦下も同じ」といった主張を撤回せず、「提案に対する理解を」と私の姿勢に問題ありと論点をすり替え、単語検索だけを抜き出し、全て書き出せと求める姿勢にこそ問題はないのですか?
最大ではありませんが、最低限のリンクは用意しました。なぜ、何もしていないのに反対なんですか?雛鳥じゃあるまいし、餌は勝手に落ちてきませんよ。-Wikkyshor(会話) 2025年3月18日 (火) 10:04 (UTC)
- 何らかの議題を提起されるのであれば、他者に賛同をしてもらいたいという立場なのですから、ご自身の考える最低限が他人にとって最低限のラインを満たせているかは真摯にお考えになったほうが良いと思います。もちろん、賛同してもらわなくてよいということであれば何も言うことはありませんが。説明が足りないと私は考えているので、満足できる説明がなされるまで当初の主張を撤回しないのは当たり前の話で、当然、説明がなされれば当初の主張を再考したうえで意見を改めて表明するのはやぶさかではありません。Wikkyshorさんが、リンクを貼ってあるから個別案件でないことくらいはわかるなどと他人に理解を丸投げされるのではなく、きちんと順序立ててご自身の提案の趣旨を説明されることを望みます。--taisai429(会話) 2025年3月18日 (火) 11:02 (UTC)
プロジェクトの解説が端的であることは認めましたし、趣旨も申し上げた通りですが、具体的に何が不足しているのか把握しているならば、改名提案ではなく、プロジェクトで文面改定を提案しています。繰り言になりますが、何をおっしゃりたいのか分かりかねます。--Wikkyshor(会話) 2025年3月18日 (火) 11:15 (UTC)
- いや別に、プロジェクトの文面の話にしてもよいのですが、プロジェクトの決定事項は各記事のノートでの決定事項を上回るものではないので、最終的にはこの記事にプロジェクトでの決定事項をどのように適用するかを議論する必要がありますよ。Wikipedia:ウィキプロジェクトに「強制力はない」と記載されている通りです。その上で、プロジェクトの文面の話をすると、現行のプロジェクト:軍事史の記述内容では「第二次世界大戦下」を他の何かに改名する必要があるのかどうかすら全く判断できません(ご自身が端的だと認めていらっしゃる通り、言葉足らずすぎるので)。よって、現行のプロジェクトの決定事項をこの記事に適用した場合でも改名する必要はないと思います。--taisai429(会話) 2025年3月18日 (火) 11:32 (UTC)
強制力というより、不足に気づいていれば、補う作業段階に入っていますという話です。そして、その部分が、「地理学に基づき地域、国家を主題とした定義」以外に、どこまで説明すれば良いのか掴みかねています。例えば、この記事では冒頭(導入部)が「日本は、第二次世界大戦において……」で始まるように、国家を主語(主体)、戦争を時期(客体)で始まっています。- 逆にお尋ねします。それ以外なら、この記事の正しい定義は何なんですか?--Wikkyshor(会話) 2025年3月18日 (火) 12:07 (UTC)
すみません、本気でわからないのですが、ご提示いただいた文は「日本は、第二次世界大戦下で……」と何が違うのですか?--taisai429(会話) 2025年3月18日 (火) 14:30 (UTC)誤字修正--taisai429(会話) 2025年3月18日 (火) 14:31 (UTC)
その導入だと主語は日本のままですが、プロジェクトのノートで触れられているように戦争下にある日本(国家)が強調され、戦争に対して国家が従になる形です。Category:戦時下の日本があるように、「第二次世界大戦で戦時下に置かれた日本は……」の方が日本語的にマシな気もしますが、本題ではないので、脇に置いておきます。- むしろ、プロジェクトで申し上げた通り、問題点は、日本以外の戦争主体とした記事、テンプレート、カテゴリの作成、整備が行き届いておらず、当然、私一人で手が足りるわけがないので勘弁して欲しいと提案しました。taisai429さんがおやりになるなら、歓迎します。この改名提案を取り下げますので、整備の提案お待ちします。--Wikkyshor(会話) 2025年3月18日 (火) 15:07 (UTC)
「戦争に対して国家が従になる形」とは私は感じませんが、この提案を取り下げられるということでしたら結構です。--taisai429(会話) 2025年3月18日 (火) 15:17 (UTC)
| 合意事項:Category:戦争以下の戦争主体とした記事、カテゴリの整備に関して、taisai429さんが提案をお持ちのため、この記事はプロジェクト:軍事史/カテゴリの分類の「地域、国家などを主題とした分類」対象外です。 |
このような形でよろしいでしょうか?--Wikkyshor(会話) 2025年3月18日 (火) 16:23 (UTC)
Wikkyshorさんがこの改名提案を取り下げるのか、あるいは継続するのかという点以外について私は関知しません。--taisai429(会話) 2025年3月18日 (火) 16:37 (UTC)
対話が成立しませんね。この記事は英語版からの翻訳して作られた記事ですよね? 英語版のような記事、カテゴリの構成を日本語版に持ってきて、戦争を主題とした作成、整備は手が足りなくて到底無理なので、地域、国家を主体とした定義に留めておこう、でウィキプロジェクトで合意しましたという話に対して、taisai429さんが推進したいとお思いなら、私は止めませんよ、むしろ、歓迎するので、提案取り下げます、と言っているのですが。--Wikkyshor(会話) 2025年3月18日 (火) 16:50 (UTC)
私は、提案を取り下げるのであればそれ以上「戦争に対して国家が従になる」云々について話を続ける気はありません、という趣旨のことは述べましたが、提案を取り下げることを前提にWikkyshorさんとなんらかの合意を結ぶといったことを言った覚えはありません。Wikkyshorさんが提案を取り下げるのも継続するのも自由ですが、Wikkyshorさんとの間に合意を形成するのは難しいだろうと感じています。--taisai429(会話) 2025年3月18日 (火) 17:07 (UTC)
そうですか。英語版の軍事史はパンドラだと思っていたので、こりゃ助かると思いましたが、ぬか喜びになってしまいました。- 「戦時下」と「戦争中」が感覚として一緒ということですか? 辞書の話に戻ってループしそうなので、方向性を変えてお尋ねします。仮に取り下げたとして、taisai429さんはこの記事をどのような定義、構成になさるおつもりなのですか?--Wikkyshor(会話) 2025年3月18日 (火) 17:33 (UTC)
Wikkyshorさんは辞書を引けとわざわざ他人に指図したのですから、そのループを開始したのはWikkyshorさんに他ならないのです。Wikkyshorさんはあなたの個人的な感覚ではなく、辞書的に意味が異なることを説明する必要があります。--taisai429(会話) 2025年3月18日 (火) 17:49 (UTC)
はい、その通り、指図しました。なぜなら、反対の根拠として「戦中も戦下も同じ意味」と言い出したのはtaisai429さんだからです。- その説明責任を負うのは、taisai429さんであって、私が負うのは「大戦中の」「大戦における」への改名が妥当な根拠に対する説明責任であり、それはこれまで述べた通りです。
- 常識的に、私が反対される根拠を私自身が証明しなければならない、なんて、そんな理由があるわけがでしょう。問いただすばかりで、ろくに回答いただけないというのは不愉快ですが、それらを飲み込んで申し上げるなら、私が知る範囲の辞書に「戦争中」「戦時中」があっても、「戦争下」も「戦時下」もありません。
- 当然、どの辞書だとか、なぜ辞書にないのか、辞書にないならカテゴリ名も不適切ではないか、といった問い合わせをいただきましても、私に回答する義務がありませんので、予めお断りいたします。プロジェクトの説明が不足している箇所については、改定案を提案し、対応させていただきます。--Wikkyshor(会話) 2025年3月19日 (水) 12:03 (UTC)
いつ、どこで改名が妥当な理由の説明がなされたのでしょうか。Wikkyshorさんの主張はほぼ「地域、国家などを主題とした分類」という一文に集約されると私は考えておりますが、そもそもこの一文に基づき「第二次世界大戦下の日本」を改名するというのは、なんの説明にもなっていないんですよ。なぜなら「第二次世界大戦下の日本」という文章の主題は「地域、国家」である「日本」であり、すでに「地域、国家などを主題とした分類」だからです。Wikkyshorさんの主張は、「地域、国家などを主題とした分類」に従わなければならない根拠が説明されない、「地域、国家などを主題とした分類」に従ったとしても現状がすでにそうである、という、まるで話にならないものですので、まずは辞書を引くなどの基本的なところから積み重ねていくのも一つの解決策ではあるかと思います。--taisai429(会話) 2025年3月19日 (水) 13:51 (UTC)
「戦中も戦下も同じ意味」であるということが証明されて成立する話であり、taisai429さんが証明なさるなら、その前提に基づいた記事内容の変更、つまり「第二次世界大戦下の日本」にすることを否定していません。繰り言になりますが、根拠を説明していただければと思います。--Wikkyshor(会話) 2025年3月20日 (木) 01:36 (UTC)
改名を提案しているのはWikkyshorさんであり、証明の責任は提案者にあります。--taisai429(会話) 2025年3月20日 (木) 02:45 (UTC)
常識的に、私が反対される根拠を私自身が証明しなければならない、なんて理由があるわけがないでしょう。--Wikkyshor(会話) 2025年3月20日 (木) 05:08 (UTC)
私は、別に同じ意味であろうが別の意味であろうが現状の記事名が維持されることを目指しているので、現状の記事名が不適切でさえなければよいわけです。Wikkyshorさんは改名を提案しているのですから、現状の記事名が不適切であるか、またはよりよい記事名の候補があることを説明しなければなりません。そういう様子はここまで窺えませんが。--taisai429(会話) 2025年3月20日 (木) 05:25 (UTC)
「戦中も戦下も同じ意味」であるということをtaisai429さんが証明なさるなら、その前提に基づいた記事内容の変更、つまり「第二次世界大戦下の日本」にすることを否定していません。--Wikkyshor(会話) 2025年3月20日 (木) 05:28 (UTC)
Wikkyshorさんのご提案は改名ですので、記事内容の変更といった改名以外の対応については関知しません。別途ご提案された上で検討がなされるべきものと承知しております。--taisai429(会話) 2025年3月20日 (木) 06:29 (UTC)
「戦中も戦下も同じ意味」であるということをtaisai429さんが証明なさらないなら、改名と改名にともなう記事内容の変更も行う作業が付随します。--Wikkyshor(会話) 2025年3月20日 (木) 06:34 (UTC)
改名は合意が形成されたときに実行されます。改名すべき理由が説明されないのであれば、私個人としては改名に賛成することはありません。--taisai429(会話) 2025年3月20日 (木) 07:35 (UTC)
改名した場合、記事内容を変更する作業が付随するという説明です。taisai429さんが「戦中も戦下も同じ意味」の説明をしないならば、ウィキペディアのガイドラインWP:DRにある「ほとんど証拠を示さず反対意見を述べる」に該当します。--Wikkyshor(会話) 2025年3月20日 (木) 08:32 (UTC)
私は、Wikkyshorさんが改名の根拠を適切に示していない、ということをWikkyshorさんの具体的な発言をもとに指摘していますので、証拠はすでに示されています。--taisai429(会話) 2025年3月20日 (木) 09:25 (UTC)
当初の提案における不足については、主体と客体など、すでに説明しました。「戦中も戦下も同じ意味」はtaisai429さんご自身の言葉です。その説明をしてください。--Wikkyshor(会話) 2025年3月20日 (木) 10:22 (UTC)
「第二次世界大戦下の日本」という文章の主題は日本であるため、主体やら主題やらのWikkyshorさんの説明は意味をなしていない(第二次世界大戦中の日本や第二次世界大戦における日本との違いがわからない)、ということもすでに述べました。現行の記事名は第二次世界大戦下の日本であるため、それを変えようというのであれば変えなければならない根拠を示す必要がありますし、現行の記事名を信任するためには同じ意味であることを証明する必要はなく、不適切でないことが示されれば十分なのです。--taisai429(会話) 2025年3月20日 (木) 10:47 (UTC)
理解しようとしないことと「意味をなしていない」という主張には大きな隔たりがあります。--Wikkyshor(会話) 2025年3月20日 (木) 10:54 (UTC)
そうお考えであれば、ほとんど証拠を示さずに意見を述べるのではなく、「どのように隔たっているのか」を具体的な根拠を示して指摘するべきかと考えます。まず「第二次世界大戦下の日本」という文章の主題が日本であるということから認めないということなのか。あるいは「第二次世界大戦下の日本」の主題は日本であるが、別の理由により「第二次世界大戦中の日本」とは異なるということなのかをお示しいただかないと、なかなか話が前に進みません。後者であれば、主題がなにであるかはやはり意味をなしていなかったということになりますね。--taisai429(会話) 2025年3月20日 (木) 11:07 (UTC)
私はtaisai429さんの日本語教諭などではありませんので、「どのように隔たっているのか」まで説明する義理がありません。理解しようとする気持ちがあるのなら、お手頃なところで言うと、コトバンクで「主体」「客体」を調べるなりなんなりしてください。--Wikkyshor(会話) 2025年3月20日 (木) 11:15 (UTC)
説明する義理がないということですが、そもそも説明しなければあなたの提案は誰にも理解されないということも再三申し上げてきたところであります。--taisai429(会話) 2025年3月20日 (木) 11:18 (UTC)
誰にも理解できないならば、そもそもウィキプロジェクトで合意事項として掲載していません。--Wikkyshor(会話) 2025年3月20日 (木) 11:23 (UTC)
ウィキプロジェクトで理解が得られたのであれば結構。そのときの合意事項をなぜこの項目に適用すべきなのか、きちんと説明するようにしてください。--taisai429(会話) 2025年3月20日 (木) 11:26 (UTC)
私はtaisai429さんの日本語教諭などではありませんので、「どのように隔たっているのか」まで説明する義理がありません。理解しようとする気持ちがあるのなら、お手頃なところで言うと、コトバンクで「主体」「客体」を調べるなりなんなりしてください。--Wikkyshor(会話) 2025年3月20日 (木) 11:30 (UTC)
コピペで同じことを繰り返すようではもはや会話が成り立たないので、Wikkyshorさんの対話拒否的姿勢は明らかになったというべきですね。これはコピペを行ったという具体的な行為を根拠としています。--taisai429(会話) 2025年3月20日 (木) 11:35 (UTC)
問いただすばかりで、理解しようともせず、ろくに回答いただけないので、そうなります。--Wikkyshor(会話) 2025年3月20日 (木) 11:40 (UTC)
「第二次世界大戦下の日本」も「第二次世界大戦中の日本」も「第二次世界大戦における日本」も、主体客体をいうならどの文章であっても主体となるのは「戦争を起こした誰か」であり、日本は客体であるととらえることもできます。下だから中だから主体客体が変わるという見解をお持ちなのであればその根拠を示すべきで、それが示されていない以上主体客体に関するWikkyshorさんの説明は主題に関するWikkyshorさんの説明と同様に意味をなしていません。--taisai429(会話) 2025年3月20日 (木) 18:37 (UTC)
少しは動いていただいたようで、何よりです。勉学において日進月歩は大切です。今までの流れを総括してみましょう。
- 背景:記事、カテゴリの整備不良のため、「地域、国家などを主題とした分類」に基づく整備を提案、合意に達した
- 経緯:「第…世界大戦下の国名」「第…世界大戦期の国名」の記事やカテゴリを対象に一部除き改名を実施済み(8記事、33カテゴリ)
- taisai429反対意見:戦中も戦下も同じ意味
- Wikkyshor反論:辞書には「戦争中」「戦時中」があっても、「戦争下」も「戦時下」もない(広辞苑第七版、2018、大辞林第四版、2019)
- Wikkyshor補足:例え国家を主体にすることはあって、戦争を主体とした定義が正しいのか
- taisai429反論:主体となるのは「戦争を起こした誰か」である
- 敬称略。「戦争下」も「戦時下」もないですが、「大戦下」も辞書にありません。絶対にないとは言い切れませんが、広辞苑になければ、十中八九ないでしょう。そのため、日本語として「第二次世界大戦下の日本」は何を意味する定義なのか、という点が最大の問題です。
- 本当に繰り言になりますが、私は「…戦争下の国家」というのは「国家」が客体の状態であると申し上げています。
- 例えば、「大戦下」が辞書にないなら、「…下」の単語を思い浮かべてください。「体制下」「管理下」といったように、特定の事柄がその主体の下に置かれることを意味します。「主体 自覚や意志に基づいて行動」(デジタル大辞泉、2020)とあるように、一般的な考え方でいえば、「戦争下」に置かれた「国家」を主体と捉えることはほぼありません。「戦争」という事象が主体で、その制約や制限を受けた状態、客体になっている、ということです。
- 次に、どの次元で、主体が変わるのか、という点です。taisai429さんの言う「戦争を起こした誰か」を主体にするのは問題があり、「国家」を主体にしなければ矛盾が発生し、整合性が取れません。なぜなら、今の記事の定義が「国家」が主体です。
- 例えば、アドルフ・ヒトラーの視点から見れば、確かに、日本は常に客体です。しかし、実際にはヒトラーや日本軍など当事者、特定個人の目線で定義していませんから、taisai429さんの捉え方に問題があるということになります。
- ゆえに、歴史学や地理学など学問的観点から見た「国家」を主体にすることがベストで、「地域、国家などを主題とした分類」の定義が良い、と主張をしています。
- 以上の理由により、今の記事名が「第二次世界大戦下」に置かれた「日本」という状態で、この定義を認めるなら、現行の定義が問題となり、大幅な改稿を要します。逆に、現行の定義を認めるなら、記事名を改める必要である、となります。--Wikkyshor(会話) 2025年3月21日 (金) 10:32 (UTC)
結局のところ、「第二次世界大戦下の日本」という文章の主題は日本であり、また「第二次世界大戦中の日本」や「第二次世界大戦における日本」も日本を客体とみなしうる、という点についての説明になっていませんね。それでは結局のところ、「地域、国家などを主題とした分類」を前提とした時に「第二次世界大戦下の日本」という記事名が不適切である、ということはできません。--taisai429(会話) 2025年3月21日 (金) 11:38 (UTC)
ふむ。どういう理屈でそうなるのですか?--Wikkyshor(会話) 2025年3月21日 (金) 12:21 (UTC)
まず主題や主体の意味を辞書で調べましょう。例えば「農場経営者の契約の下に置かれている農奴が家の前に立った」という文章の主題はなんでしょうか。もちろん農奴です。主体はなんですか。もちろん農奴です。しかし、「農場経営者と契約中の農奴」という文章では、農場経営者の視点から見れば農奴は客体です。「戦争の影響下に置かれている国家」という記事の主題も主体も国家であり、戦争ではありません。--taisai429(会話) 2025年3月21日 (金) 13:53 (UTC)
それは、「アドルフ・ヒトラーの視点から見れば…(略)…特定個人の…」のくだりじゃないですか…。--Wikkyshor(会話) 2025年3月21日 (金) 14:02 (UTC)
何かの支配下や影響下に置かれている存在は主題や主体になり得ない、と主張されるのであれば、それは相当特異な考え方でしょう。--taisai429(会話) 2025年3月21日 (金) 14:17 (UTC)
その「何か」の次元が「特定個人」ではなく、「戦争」という事象からの視線であることを問題にしているのです。--Wikkyshor(会話) 2025年3月21日 (金) 14:35 (UTC)
何かが「戦争」であろうが「災害」であろうが、その支配下に置かれている国家を扱った記事の主題は国家であり、その何かではありません。--taisai429(会話) 2025年3月21日 (金) 14:42 (UTC)
なるほど。腑に落ちました。ソ連によるルーマニアの占領のようにソ連が主体で、ルーマニアが占領される客体だと思ってましたが、そういう理屈ならルーマニアが主体ということになりますね。--Wikkyshor(会話) 2025年3月21日 (金) 15:03 (UTC)- (訂正) 占領下のルーマニアの話ですね。失礼、寝ぼけたこと言いました。しかし、「第…世界大戦下の国家」という記事やカテゴリを残す、または戻すとなると、文学作品のような用例はあっても、歴史関係の用例が少ないという問題が出てきてしまうんですが、どうしたものか。--Wikkyshor(会話) 2025年3月21日 (金) 16:03 (UTC)
それで、「戦争の影響下に置かれている国家」に主題を置き換えないのであれば、記事名と記事内容が矛盾したままの状態で、出典探しも容易ではないと思うのですが、どうするのでしょうか?--Wikkyshor(会話) 2025年4月10日 (木) 14:45 (UTC)
- 別に記事名と記事内容は矛盾していません。--taisai429(会話) 2025年4月10日 (木) 22:40 (UTC)
終了最後の書き込みから1ヶ月書き込みがないため、Wikipedia:改名提案#議論終了の条件2を適用し、議論の終了とします。--Asamoto(会話) 2025年5月23日 (金) 12:43 (UTC)
IPの方が編集をしていたので様子を見ていましたが、結局のところ、「参戦した経緯について説明」している記事であって、「戦争の影響下に置かれている国家」の記事ではない、という部分に変わりなく、それらを紐づける出典が出てきていません。--Wikkyshor(会話) 2025年5月23日 (金) 12:59 (UTC)
仕切り直し
[編集]
提案 :IPの方や仮登録の方の編集が落ち着いたようなので、上述した通りの箇所が解消されていないため、改名提案します。--Wikkyshor(会話) 2025年9月28日 (日) 14:23 (UTC)
反対 前回と同様の趣旨により反対します。--taisai429(会話) 2025年9月28日 (日) 15:56 (UTC)
- (コメント)そもそもの話としてクローズされた改名提案の末尾に書き足して改名提案を再開するの止めてくれません? ちゃんと節分けして、議論が判り易くなるようにして頂きたい。--KAMUI(会話) 2025年10月3日 (金) 11:06 (UTC)
メモ:失礼しました。セクションを作成しました。改めて書籍を探したのですが、やはり、「第二次世界大戦下の日本」というタイトルに相当するものは見当たりませんでした。問題点を以下に記します。
- 記事名に「大戦下」という独自研究が含まれている。
- 先のセクションでも指摘しましたが、広辞苑第七版(2018)や大辞林第四版(2019)など辞書に「大戦下」という語はありません。一般的な日本語の使い方ではないため、出典が必要です。最も適切なのは日本語の書籍があれば問題にすらなりませんが、英語の書籍にも「Japan under World War II」というフレーズはありません。アウトです。
- 参考「Thomas R. H. Havens. (1978). Valley of Darkness: The Japanese People and World War Two.」「Saburo Ienaga. (1978). Japan’s Last War: World War II and the Japanese, 1931–1945.」「Haruko Taya Cook & Theodore F. Cook. (1992). Japan at War: An Oral History..」「Samuel Hideo Yamashita. (2015). Daily Life in Wartime Japan, 1940–1945..」「Shunsuke Tsurumi. (1986). An Intellectual History of Wartime Japan: 1931–1945..」「Peter Duus, Ramon H. Myers, Mark R. Peattie ed. (1996). The Japanese Wartime Empire, 1931–1945..」
- 記事名と記事内容が剥離している。
- 先のセクションでも指摘しましたが、「大戦下」という語を使用した書籍を参考した場合、記事内容がそもそも違います。この記事のどこに「アメリカ暮らしの富裕層日本人の逃避行」が描かれているのでしょうか?これは記事名の付け方に反します。
以上です。反対なさるなら、出典を出してください。--Wikkyshor(会話) 2025年10月3日 (金) 22:01 (UTC)
コメント そもそも「大戦下」が一般的ではないというWikkyshorさんの主張は独自の見解という他ありません。国会図書館デジタルコレクションの検索では「大戦下の日本」も少なくないヒット数がありますし、J-Stageでも「大戦下」を含む資料が複数ヒットするので、学術的にも特段不自然な言い方ではないことは明らかです。「記事名と記事内容が剥離している」についてはそもそも何を言いたいのかわかりません。「アメリカ暮らしの富裕層日本人の逃避行」などという内容がどこから出てきたのかもわかりませんし、それが必須の要件であるという前提を勝手に設けている典型的な論点先取でしょう。単純に「大戦下」より「大戦中」の方が一般的であるということを理由とした改名提案であればまだしも検討の余地がありますが、前回のWikkyshorさんの主張である「地域、国家などを主題とした分類」にするための改名や、今回のWikkyshorさんの主張は異様な内容であり、まともな議論が不可能であるため、この改名提案による改名には反対します。--taisai429(会話) 2025年10月3日 (金) 23:33 (UTC)
- (コメント)「大戦下」と言う語については普通に使われているもので、それを「独自研究」と主張するのは流石に無理があります。日本基督教団の第二次大戦下における日本基督教団の責任についての告白であったり、旧文部省が1992年に刊行した『学制百二十年史』においても第二次世界大戦下の教育と言う節があったり、一般に出版されたものでも「第二次世界大戦下のヨーロッパ」や「第二次大戦下リトアニアの難民と杉原千畝」、「切りとられた時─―第2次世界大戦下の学童疎開」などの書籍は普通にヒットする訳です。これに対して「大戦下は独自研究だから改名すべき」という理屈では受け入れられないと思います。
それならまだ「第一次世界大戦中の日本などと記事名を揃える方が閲覧者にとって分かり易い」とかの方が受け入れられたんじゃないかと思いますよ。あと、最初にTaisai429さんに対して「辞書引いてください」とやり返したのは、この種の議論においては悪手としか言いようがありません。--KAMUI(会話) 2025年10月4日 (土) 00:42 (UTC)
返信 :繰り言になりますが、”「大戦下の日本」「大戦下」などヒットした資料”など日本語の書籍に基づいて書かれているならば、問題にならない、と申し上げております。それらが記事に反映される・されていたならば、「記事名と記事内容が剥離」するだろう、という話で、これは単なる私の調査範囲に限定された部分ですので、適切な書籍があるならば話は別です。しかし、”ヒットした資料”の内容をご確認ください。記事中のどこで「教育」や「難民」に関して語られているのでしょうか。
一方で、現行の記事内容に沿った形で出典が掲載されるならば、「大戦下の日本」「大戦下」などは文学に限らず、歴史学にも当てはまるものとして改名提案を取り下げます。改めてお願い申し上げます。出典を出してください。--Wikkyshor(会話) 2025年10月4日 (土) 00:55 (UTC)
- 「大戦下という言葉を用いた資料に書いてあることがこの記事に書いていないといけない」というWikkyshorさんの主張は、そんな前提は存在しない論点先取である、ということはつい先程申し上げました。--taisai429(会話) 2025年10月4日 (土) 01:17 (UTC)
返信 :主題と関係のない出典をもとにするのは情報の合成(WP:SYNTHESIS)にあたるおそれがあり、前提としてあるという認識です。--Wikkyshor(会話) 2025年10月5日 (日) 13:43 (UTC)
- この記事は「第二次世界大戦下の日本」を扱った総論記事ですが、当然第二次世界大戦下の日本については様々な各論が存在するのであり、例えば第二次世界大戦下の日本で起きた殺人事件を扱った資料もあれば、第二次世界大戦下の日本職業野球を扱った資料もあるでしょう。しかし、それらをいちいち総論記事に盛り込まなくてはならないわけではありません(もちろん、将来的に盛り込まれたときに除去する必要があると述べているわけでもありません)。第二次世界大戦下という言葉が世間で使われているかどうかと、第二次世界大戦下という言葉を使っている資料の内容をこの記事に盛り込む必要があるかどうかは全く関係がありませんし、だいたいその論法でいくと「第二次世界中の日本」という記事名だったとしても同じ理由でありとあらゆる内容を盛り込まなければ記事名と内容が乖離しているので不適切ということになりますが、そんなわけはありません。次から次へとアドホック的な主張を繰り広げているようにしか考えられませんが、どういうおつもりなのでしょうか。--taisai429(会話) 2025年10月5日 (日) 15:28 (UTC)
返信 :先のセクションでも申し上げた通り、「参戦した経緯について説明している記事」であって、総論などという定義がされているならば、どの箇所にあるのでしょうか?
「記事名と記事内容が剥離するだろう」という私の想定を、そのまま踏襲して総論扱いにするのは、「論点先取である」という見解はどこにいったのですか?--Wikkyshor(会話) 2025年10月12日 (日) 12:29 (UTC)
- 「大戦下」であろうと「大戦中」であろうと、その言葉を使っている資料が取り上げている内容は記事内容に取り込まなければならないという前提は存在しないのであるから、それを前提にWikkyshorさんが話を進めようとするなら論点先取に他なりません。ちなみに、「参戦した経緯について説明している記事」云々も、定義文がそうなっているというだけの話で、現状の記事内容は総論記事になっていると思いますが、定義文の文章が変であるというのは記事名がどうであるべきかと全く関係がないです。--taisai429(会話) 2025年10月12日 (日) 21:01 (UTC)
返信 :定義が「参戦した経緯について説明している記事」であることを認めるのですね。回答をいただけていないので、改めて問います。その総論とは、どの箇所にあるのでしょうか?また、情報の合成(WP:SYNTHESIS)に接触するおそれがあると指摘させていただきましたが、それには該当せず、「前提は存在しない」に相当する方針の該当箇所をお答えください。--Wikkyshor(会話) 2025年10月13日 (月) 09:01 (UTC)
- そもそも私は最初から定義の話はしていないので。大戦下だろうと大戦中だろうと同じ定義文を用いることができるし、異なる定義文にすることもできますが、それが何か記事名に関係あるのでしょうか。私は最初から一貫して、記事名以外のことには反対も賛成もしていません。しかし戦後や戦争犯罪が参戦の経緯ではありえないので、少なくとも現状が参戦の経緯を扱った記事とはいえないのは確かです。さて、情報の合成とは、Aという信頼できる資料から取り出したA、Bという信頼できる資料から取り出したBという事実をもとにして、A+B=Cという事実をそう直接書いている資料Cが存在しないにも関わらず書くべきではないという方針です。「大戦下」という言葉を使っている資料D、Eをもとにして「大戦下」という記事名を採用するのは全く情報の合成ではありませんし、その記事においてたとえ「大戦中」という言葉を使っている資料F、Gをもとにした情報を記載したとしても、F、Gから新たな事実Hを作出しているのでなければ情報の合成に当たりません。「大戦下の日本」「大戦中の日本」どちらの言葉も指しているものが同じであることはそれぞれの資料から了解できるからです。違うというのであればそれこそをきちんと説明されるべきであるというのも、これも最初から何べんも繰り返していることです。またWP:SYNTHESISに接触するおそれがあるというのであればどのように当たるのかをWikkyshorさんがまずご説明されるべきかと考えます。資料D、Eを記事名の採用に当たって参照したのであればそのDEに記載している内容を記載しなければならないなどという前提が存在しないのですから、そんな突拍子もないことを否定した方針も存在しないのは当然です。そもそも資料D、Eはその言葉が広く用いられていることを証明するために参照されたのであり、他の事実を証明するために参照されたのではないのです。--taisai429(会話) 2025年10月13日 (月) 13:23 (UTC)
返信 :要約すると、総論にあたる箇所はない、前提が方針に基づくものではない、という理解で合っていますでしょうか。--Wikkyshor(会話) 2025年10月14日 (火) 14:17 (UTC)
コメント コメント依頼をみて来ました。2025年10月4日にKAMUIさんが指摘されていますが、改名理由はシンプルに
- 第一次世界大戦中の日本
- 第二次世界大戦中の各国情勢
- 第二次世界大戦中のスウェーデン
- 第二次世界大戦中のギリシャ
- 第二次世界大戦中のスペイン
- 第二次世界大戦中のハンガリー
- 第二次世界大戦中のルーマニア
- 第二次世界大戦中のアイルランド局外中立
- 第二次世界大戦中の宣戦布告
などと同様に「~中の~」に統一するため、で良いように思うのですが。つまりWikipedia:記事名の付け方#記事名の付け方の目安の「首尾一貫している」の観点からの改名です。--ねこざめ(会話) 2025年10月16日 (木) 21:25 (UTC)
- Category:第一次世界大戦におけるアメリカ合衆国
- Category:第二次世界大戦におけるアメリカ合衆国
- Category:第二次世界大戦におけるイギリス
- Category:第二次世界大戦におけるイタリア
- Category:第二次世界大戦におけるウクライナ
- Category:第二次世界大戦におけるエストニア
- Category:第二次世界大戦におけるオランダ
- Category:第二次世界大戦におけるソビエト連邦
- Category:第二次世界大戦におけるチェコスロバキア
- Category:第二次世界大戦におけるデンマーク
- Category:第二次世界大戦におけるドイツ
- Category:第二次世界大戦におけるノルウェー
- Category:第二次世界大戦におけるハンガリー
- Category:第二次世界大戦におけるフィンランド
- Category:第二次世界大戦におけるフランス
- Category:第二次世界大戦におけるベラルーシ
- Category:第二次世界大戦におけるベルギー
- Category:第二次世界大戦におけるユーゴスラビア
- Category:第二次世界大戦におけるラトビア
- Category:第二次世界大戦におけるリトアニア
- Category:第二次世界大戦におけるルーマニア
- Category:第二次世界大戦におけるルクセンブルク
なお、「~下~」には以下のようなカテゴリがあります。
すでに言及されていますが、国会図書館サーチなどで「大戦下」と検索すると大体が「大戦下の人々」について描かれた文学がヒットします。文学が歴史と交わることがない学問ではないとはいえ、どのような本なのか手にとって読めば違いは明確です。そして、現行の記事は人々の暮らしだとか境遇だとかについてまったく触れられておりません。「アメリカ暮らしの富裕層日本人の逃避行」、「大戦下における学校教育」など掠りもしていませんが、それらを将来的に掲載されることを期待するのは「論点先取」らしいので、ますます何を基準にしているのか不明です。私の理解では、海外(洋書)から見た日本の帝国史についての記事であることから、他の記事名に合わせた第二次世界大戦中の日本でも構いませんし、カテゴリとの整合性を考えて第二次世界大戦における日本でも構いません。帝国史に絞るなら、大日本帝国の歴史でも良いかもしれません。日本語研究の第一人者らによる広辞苑をはじめとする辞書に掲載がないことを申しても、それが「一般的ではない」理由にならないなら、何が一般的なのかの説明もありません。何が何でも改名に反対されているので合意できるとは思えませんが。--Wikkyshor(会話) 2025年10月17日 (金) 16:35 (UTC)
返信 カテゴリ名はまた別に考えれば良いかと思います。また、“何が何でも改名に反対されている”わけではなく、2025年10月4日にKAMUIさんが指摘されていますが、“「大戦下は独自研究だから改名すべき」という理屈では受け入れられない”のだと思います。ですから、改名理由を変更することを勧めているわけです。- あと、Wikkyshorさんはノート:第一次世界大戦中の日本でなぜ、第二次世界大戦下の日本もいっしょに改名提案しなかったのか不思議です。一緒に提案しておけばあっさり改名されていたように思います。--ねこざめ(会話) 2025年10月17日 (金) 22:33 (UTC)
- --Wikkyshor(会話) 2025年10月18日 (土) 05:42 (UTC)
返信 第二次世界大戦下の日本が立項されたのが2025年2月22日と、比較的最近だったことに気づいていませんでした。すみません。あと今さらな質問ですが、Wikkyshorさんは今回の改名提案はプロジェクト:軍事史/カテゴリの分類#軍事地理学のカテゴリを根拠とされていますが、読むとカテゴリの話であり、今回の改名提案にどのように繋がるのかがわからないのですが。--ねこざめ(会話) 2025年10月18日 (土) 16:21 (UTC)
返信 :過去ログ化されたため、一言にノートといっても該当箇所がわかりづらい状態でした。提案や削除依頼からプロジェクト‐ノート:軍事史/過去ログ2#改名作業へ議論の場を移してあるので、多少の分散はあるでしょうが、概ね該当ログだけかと存じます。--Wikkyshor(会話) 2025年10月19日 (日) 13:17 (UTC)
返信 読みましたが、カテゴリの話しかしておらず、記事名の「下」を「中」に改名することに繋がる話題は見つけることができませんでした。お手数をおかけしますが、具体的に何月何日のコメントのどの部分が今回の改名提案に関係するのか教えていただけないでしょうか。--ねこざめ(会話) 2025年10月19日 (日) 16:42 (UTC)
返信 :「そもそもCategory:第二次世界大戦下の~国は後から作られたカテゴリなので、軍事史全体から俯瞰するとおかしくなるため」 プロジェクト‐ノート:軍事史 2025年2月4日 (火) 12:43 (UTC) が発端で、その後のカテゴリ関連のプロジェクト:カテゴリ関連/議論/2025年/2月17日(2月16日)で、「下」より「中」「おける」の方が良い、となり、カテゴリは「~国における戦争」 #各国のカテゴリについて 2025年3月9日 (日) 13:07 (UTC)で合意。そして、上のセクションでも述べていますが、「記事、テンプレート、カテゴリの作成、整備」 2025年3月18日 (火) 15:07 (UTC)とありますように記事名限定での議論はありませんし、私も記事名限定で議論しているつもりもありません。-Wikkyshor(会話) 2025年10月20日 (月) 14:30 (UTC)
返信 プロジェクト:カテゴリ関連で議論しているとは、今までこのノートではどこにも説明されていませんでしたよね? Wikkyshorさんのいう「プロジェクト」は、私はプロジェクト:軍事史のことかと思いましたし、おそらくtaisai429さんも同様かと思います。Wikkyshorさんのおっしゃっているプロジェクトがプロジェクト:カテゴリ関連とは初めて知りました(このノートで「カテゴリ関連」と検索しても2025年10月20日の発言が初出です)。Wikkyshorさんは2025年3月18日に、“最大ではありませんが、最低限のリンクは用意しました。なぜ、何もしていないのに反対なんですか?雛鳥じゃあるまいし、餌は勝手に落ちてきませんよ。”と発言されましたが、その「最低限のリンク」が今の今まで一度も示されていなかったのが、この改名提案が長引いている根本の原因かと思います。--ねこざめ(会話) 2025年10月20日 (月) 20:28 (UTC)
返信 :先行議論の場を列挙し切れなかったのは私の落ち度であることは認めますし、そういった誘導が不十分であったと先のセクションでも申し上げた通りです。それで、カテゴリ関連/議論/2025年/2月17日において何かしら合意が成立したという事実はなく、議論もふわっとした内容で方針や出典に基づく議論ではなかったため重要視せず、合意の場であるプロジェクト:軍事史を指してプロジェクトと言っています。具体的にどの箇所が欠落していたのでしょうか?--Wikkyshor(会話) 2025年10月21日 (火) 13:42 (UTC)
返信 具体的にはプロジェクト:カテゴリ関連/議論/2025年/2月17日に書かれている内容すべてといえます。カテゴリにおいて最初は統一を目的としていたこと、Doraemonplusさんから「下」や「中」を統一することでニュアンスが変わってしまう場合があると指摘されていること、そしてお二人でこの件について議論し、“「大戦下の」よりもニュートラルな「大戦中の」または「における」という表現に改名すること”で合意形成をされたということです。この先行する議論を最初から明示しておけば、説明が足りないと何度も言われる事態は避けられたと思います。- あと辞書の件ですが、Wikkyshorさんは「せんちゅう【戦中】」が辞書に項目としてあるかどうかを重要視されていますが、taisai429さんは「か【下】」と「ちゅう【中】」という語の語義を元に話をされているのだと思われます。--ねこざめ(会話) 2025年10月21日 (火) 17:33 (UTC) 誤記修正--ねこざめ(会話) 2025年10月21日 (火) 18:26 (UTC)
返信 :一点だけ修正させてください。プロジェクト:軍事史#カテゴリの整備の一番下にあるリンクから辿れば、カテゴリ関連/議論/2025年/2月17日 や Wikipedia:Bot作業依頼/過去ログ/2025年3月 に行き着くことは可能ですが、そこは先行議論と作業の場であって、「における」で合意したのはあくまでプロジェクト軍事史のノートと認識しています。- 語義という点において私は議論するつもりはありません。繰り言ですが、2025年10月17日 (金) 16:35 (UTC)に申し上げたように、広辞苑第七版や大辞林第四版は「日本語研究の第一人者ら」によるWikipedia:信頼できる情報源#情報源の「三次資料」に相当すると考え、そういった日本語の専門家を差し置いて一体なんの議論をして、どこに着地点を見出したいのかわかりかねます。--Wikkyshor(会話) 2025年10月23日 (木) 14:02 (UTC)
返信 目的が改名することなのであれば、現在の改名理由では改名に反対されているので、改名理由を変えればよいだけの話では。- Wikkyshorさんの一連の発言を読むと、“辞書引いてください”(2025年3月18日)、“当然、どの辞書だとか、なぜ辞書にないのか、辞書にないならカテゴリ名も不適切ではないか、といった問い合わせをいただきましても、私に回答する義務がありませんので、予めお断りいたします”(2025年3月19日)、“語義という点において私は議論するつもりはありません”(2025年10月23日)、“広辞苑第七版や大辞林第四版は「日本語研究の第一人者ら」によるWikipedia:信頼できる情報源#情報源の「三次資料」に相当すると考え、そういった日本語の専門家を差し置いて一体なんの議論をして、どこに着地点を見出したいのかわかりかねます”(2025年10月23日)のように支離滅裂で、わけがわかりません。--ねこざめ(会話) 2025年10月24日 (金) 20:15 (UTC)
返信 :これまで申し上げた通り、何かしらの方針や文献調査に基づいていない暫定案の方が良い、という理由がないため、変えることの意味がわかりません。一般的にも学術的にも誤っているものを正とする理由が示されていません。--Wikkyshor(会話) 2025年10月27日 (月) 13:25 (UTC)
Wikkyshorさんは根本的に議論姿勢に問題があるようです。私は「下」も「中」も「第二次世界大戦という状況ないし時代の影響を受けた日本」という意味において大体同じという主張ですので、本来きちんと改名の理由が説明されるのであれば反対する立場にありません。どちらでもよいのです。「大戦下」より「大戦中」の方が一般的であるということを理由とした改名提案であれば検討の余地があるとまさにねこざめさんと同じことも表明しております。そのうえで当初は維持意見を表明しましたが、適切に提案の趣旨が説明がなされれば再考するということも先にお伝えしました。改名の理由をきちんと説明するように要請したにも関わらず、応じなかったWikkyshorさんが「何が何でも反対されている」などと述べるのはどうしたことでしょうか。その他、「将来的に掲載されることを期待する」のを「論点先取」としたのではなく、Wikkyshorさんは「アメリカ暮らしの富裕層日本人の逃避行」が“将来ではなく現在”記事中で触れられていないことを以て「記事名の付け方に反する」とおっしゃったことに対して「論点先取」としたのだ、といった、そんな姿勢では議論が成立しないと言いたくなる問題はありますが、ひとまず置いて、改めて、Wikkyshorさんの提案ではなくねこざめさんのおっしゃった方向での改名であれば検討の余地があると表明しておきます。--taisai429(会話) 2025年10月18日 (土) 11:43 (UTC)
返信 :taisai429さんご自身の主張を裏付ける出典を出さないから、私もそういう対応をとってしまうので、出典を出していただければ改めますし、解決する問題です。--Wikkyshor(会話) 2025年10月19日 (日) 13:17 (UTC)
- 下と中が時間的、空間的な限定を意味することはおそらく大抵の辞書に載っておりますが、同じ意味だろうと違う意味だろうと改名を提案したのはWikkyshorさんなのですから、わざわざ改名する理由をまず説明するべきはWikkyshorさんです。だいたい、提示されたプロジェクトのノートですらどこにも記事名の下を中に改める議論はなされていないので、私がどのような意見を述べようとWikkyshorさんの説明が足りていないのは変わりません。--taisai429(会話) 2025年10月19日 (日) 14:09 (UTC)
返信 :そこが間違っています。記事の翻訳にあたって関連文献の用例を使いました、という話なら簡単ですが、そのように見受けられなかったのでプロジェクトで提案した暫定案に沿った改名を提案したのです。辞書には、「戦中」があっても、「戦下」はありません。「戦争中」はあっても、「戦争下」はありません。2月の一括改名時は整合性を取りました。しかし、上のセクションを含め、だいぶ時間が空いたおかげで検証が進み、史学を中心に洋書を含めて様々な書籍をあたってみましたが、用例はありませんでした。「第二次世界大戦下」が相応しい理由があるならば、私の検証に対する反証をしていただかないと、こちらとて改名提案の撤回が出来ません。一般的認識のつもりで言っているのだとしても、各々齟齬があって当たり前のことじゃないですか?ウィキペディアには幸い検証可能性という方針があるんですから、それを使えば済む話です。その点、taisai429さんが出典を用いた反証していただけないのでそれは独自研究じゃないか、と話が逸れるのです。ですから、反証がない現時点では、「日本語として一般的」にも「第二次世界大戦下」は不適切だと申し上げております。私の一般的認識で、広辞苑にない、という事は専門的かマイナーである、という認識です。--Wikkyshor(会話) 2025年10月20日 (月) 14:30 (UTC)
報告:2週間ほど待ちましたが、その後意見が出ないため改名を実施しました。
- Wikipedia:検証可能性#何を信頼できる情報源とするかにもありますが、「情報源は記事で執筆された内容を直接的に裏付けるものであり、その主題を適切に論じたものでなければなりません」とありますように記事の主題に沿わない用例を一般的と扱って採用するのは不適切です。
- しかし、大幅な記事内容の変更を否定するものではなく、「第二次世界大戦下の日本人」、「宗教団体」、「学校教育」といった主題に変更された場合、記事名の再検討を否定するものではありません。
- また、英語の出典だからといって日本の帝国史を論じる記事へ加筆することを否定するものでもありません。歴史科学協議会出版の「歴史評論」や吉川弘文館出版の「日本の時代史」ような出典を用いれば、そこまで難易度が高いものではありません。ただし、その場合、大日本帝国を主題と扱うならば、大日本帝国の歴史への改名を検討する余地があります。
- 以上です。--Wikkyshor(会話) 2025年11月12日 (水) 15:22 (UTC)
全く合意が形成されていないので、不当な改名です。合意形成はレスバトルではないので、意見が出なくなればよいわけではありません。少なくともこの議論においてWikkyshorさんに同意する意見は出ていないわけですが。--taisai429(会話) 2025年11月12日 (水) 16:11 (UTC)
コメント「第二次世界大戦中の日本」から「第二次世界大戦下の日本」へのリダイレクトを再作成する場合は、新規立項するのではなく無断改名による自動削除を復帰する形にすべきだと思います。- なお、削除ログから「第二次世界大戦下の日本」へ飛ぶ事もできますので、利便性はやや落ちますが、リダイレクトの再作成は行わなくても良いと思います。--Takym(読み:たかやま、発言の転載はお断り、会・投) 2025年11月12日 (水) 22:27 (UTC)
コメント Wikkyshorさんは2025年10月27日に、“一般的にも学術的にも誤っているものを正とする理由が示されていません”と書かれていますが、誰も現在の記事名が「正」であるとは言っていないと思います。少なくとも私は現在の記事名が「正」であるとは言っておらず、改名理由がよくわからないと言っています。Wikkyshorさんは2025年10月20日に、“2月の一括改名時は整合性を取りました”と書かれていますが、今回も同様に整合性(Wikipedia:記事名の付け方#記事名の付け方の目安の「首尾一貫している」)を理由にしていれば私は改名に賛成しますし、おそらくとっくに改名されていたと思います。- あと、そもそもの話ですが、Wikkyshorさんの2025年3月9日の最初のコメントでは、“「第二次世界大戦中の日本」か、「第二次世界大戦における日本」などが考えられますが、いかがでしょうか?”と書かれていますが、「における」とする案はどこに消えたのですか。--ねこざめ(会話) 2025年11月16日 (日) 18:27 (UTC)