倉敷浅尾騒動
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倉敷浅尾騒動(くらしきあさおそうどう)は、1866年(慶応2)に長州第2奇兵隊を脱走した150人が倉敷代官陣屋を焼払い、総社浅尾藩陣屋を襲撃した事件。
倉敷代官所襲撃
旧暦4月10日早暁、強雨の中襲撃、代官所襲撃の主目標は、代官の誅殺であったが、代官桜井久之介は、広島に出張中で不在。幕府側の上級武士はいち早く逃亡し、代官所に踏みとどまった長谷川仙介、小松原芳太郎など9名が死亡した。
総社浅尾藩陣屋襲撃
旧暦4月13日、暁七ツ(午前2時)まず郡会所、と観蔵寺に放火。さらに藩士宅ほかに火をかけた。浅尾藩陣屋内はたちまち大混乱に陥った。浅尾藩は大砲3発を発射したが、生存者の全員が陣屋から逃げ去った。