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笠森稲荷

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笠森稲荷(かさもりいなり)は、大阪府高槻市にある稲荷神社と、そこから勧請された神社のことである。笠森稲荷神社笠森神社とも呼ばれる。 (かさ、かさぶた)平癒の神として信仰された。

笠森神社(笠森稲荷)

大阪府高槻市西真上1-7-5にある稲荷社。

祭神は宇賀御魂神。創建の年月は不明だが、地元の豪族・笠氏が稚武彦命(わかたけひこのみこと)と鴨別命(かものわけのみこと)を祀って創設されたと伝えられる。中世以降は、この地の領主をしていた真上氏の崇敬が厚かったとされる。

笠森は瘡守(かさもり)と音を通じて、瘡平癒から、皮膚病のみならず梅毒に至るまで霊験があるとされ、江戸時代後期には各地に広まった。[1]

病気平癒を祈って土の団子を供え、治癒すると米の団子を供えることが慣わしになっている。

外部リンク

江戸の笠森稲荷

江戸では谷中小石川などへ勧請された。[2]

谷中

感応寺(1833年天王寺と改称)の塔頭・福泉院境内にあった稲荷社。(東京都台東区谷中7-6-9)

境内または門前にあった水茶屋「鍵屋」の看板娘・お仙(笠森お仙)が有名であった。

明治に入って福泉院は廃寺となり、稲荷社は養寿院(台東区上野桜木1-15-9)へ遷座した。 跡には明治26年(1893年)に功徳林寺が建立され、境内に改めて笠森稲荷が祀られている。

小石川

後に小石川御薬園となる地に勧請された稲荷社。(文京区白山3-7-1)

享和3年(1803年)に大円寺(台東区谷中3-1-2)へ遷座し、明治に入り神仏分離によって稲荷社を本地仏・瘡守薬王菩薩として祀った。

脚注

  1. ^ 摂津名所図会
  2. ^ 大田南畝の『武江披抄』に、笠森稲荷が小石川へ勧請されたことが記されている。

座標: 北緯34度51分28.1秒 東経135度36分11.3秒 / 北緯34.857806度 東経135.603139度 / 34.857806; 135.603139