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第36回宝塚記念

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

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宝塚記念 > 第36回宝塚記念

本項では京都競馬場1995年6月4日に行われた第36回宝塚記念について詳述する。

ファイル:Dantsu-Sattle.jpg
第36回宝塚記念(優勝・ダンツシアトル)

レース施行時の状況

阪神競馬場阪神・淡路大震災兵庫県南部地震)の被害発生により、京都競馬場の「震災復興支援競走」として行われた。これは本来1月21日22日に行われる予定であった京都競馬の代替開催。当時の開催は東京競馬場中京競馬場(阪神競馬場の代替)、さらに2日間限定で京都競馬場が追加された。関東馬のライスシャワーがファン投票の1位に選ばれて堂々の出走だった。ライスシャワーにとっては1992年菊花賞1993年95年の春の天皇賞を制しており、まさに淀の刺客であった。

出走馬と枠順

レース展開

17頭がきれいなスタートを切った。レースは、トーヨーリファールダンツシアトルタイキブリザードの順で進められた。一方のライスシャワーサクラチトセオーは後方を進んでていた。そして3コーナーにかかり、トーヨーリファールが依然先頭でペースが速くなっていく。しかし、3コーナーの下りに差し掛かったその時、ライスシャワーが躓いたかように人馬転倒、的場均騎手も投げ出されてしまった。実況していた杉本清(当時関西テレビアナウンサー)が「大歓声が上がった。おっと、一頭落馬!一頭落馬!これば何が落馬したんでしょうか?ライスシャワー落馬!ライスシャワー落馬であります。」と伝えた。結果はダンツシアトルがコースレコードで1着、2着にはタイキブリザード、3着はエアダブリン

着順

  • 1着…ダンツシアトル
  • 2着…タイキブリザード
  • 3着…エアダブリン
  • 4着…トーヨーリファール
  • 5着…アイルトンシンボリ
  • 6着…ダンシングサーパス
  • 7着…サクラチトセオー
  • 8着…ゴーゴーゼット
  • 9着…ハギノリアルキング
  • 10着…トミシノポルンガ
  • 11着…フジヤマケンザン
  • 12着…チョウカイキャロル
  • 13着…インターマイウェイ
  • 14着…ネーハイシーザー
  • 15着…インターライナー
  • 16着…ナリタタイシン
  • 中止…ライスシャワー

払戻金

  • 単勝 1番 510円
  • 複勝
    • 1番 210円
    • 9番 230円
    • 3番 280円
  • 枠連 1-5 890円
  • 馬連 1-9 1580円

レースのその後

ライスシャワー記念碑(京都競馬場)

転倒したライスシャワーは重度の左第一指間接脱臼、粉砕骨折。その場で予後不良と診断され、安楽死処分となった。優勝したのはダンツシアトルだが、「ライスシャワー最後のレース」としてよく知られている。

関東馬でありながら京都競馬場に縁深かった(GI3勝を挙げたのも生涯を閉じたのも京都競馬場)ライスシャワーの冥福を祈り、1995年秋に同競馬場パドック奥に記念碑が建立された(画像参照)。その死から10年以上を経た今もなお、碑を訪れて献花や供え物を捧げるファンは多く、同馬の人気をうかがい知ることができる。

脚注

  1. ^ a b c d e f g h i 現在は調教師
  2. ^ 当時は笠松所属。現在はJRA所属。