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秋篠宮文仁親王

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皇室







秋篠宮文仁親王(左)と紀子(右)。2005年12月23日今上天皇明仁の72歳の誕生日皇居で。
天皇一家と諸王

秋篠宮文仁親王(あきしののみや ふみひと しんのう、1965年昭和40年)11月30日 - )は、日本皇族今上天皇と皇后美智子の第二皇男子で身位親王皇位継承第2位。命名の儀で名付けられた称号礼宮(あやのみや)。 宮号は今上天皇より賜ったもので、皇室の故地である大和国北西部の秋篠に由来する。

妃は文仁親王妃紀子。子女は悠仁親王眞子内親王佳子内親王の3人。皇太子徳仁親王は兄、黒田清子は妹。妹の夫である黒田慶樹は学習院時代からの友人である。

山階鳥類研究所総裁日本動物園水族館協会総裁、世界自然保護基金ジャパン名誉総裁日本テニス協会名誉総裁、日蘭協会名誉総裁。霊元天皇から始まる有栖川流書道の伝承者でもある。

勲等勲章大勲位菊花大綬章学位博士(理学)(総合研究大学院大学)。他、称号としてタイの複数の大学より名誉博士など複数の名誉学位を贈呈されている。

住居(秋篠宮邸)は東京都港区元赤坂2丁目の赤坂御用地内。1997年平成9年)3月からは旧秩父宮邸を使用。

皇室典範における敬称は殿下。

略歴

外遊歴(平成以降)

  • 同年8月13日8月25日、マダガスカル訪問。(タイ立ち寄り)
    • 私的訪問。眞子内親王同行。家畜や絶滅鳥の研究のほか、大統領や首相への表敬訪問、宮殿視察。眞子内親王の同行は国際的視野を広めるため。

来歴・人物

鳥類両生類ナマズの研究者としても著名で、タイ王国の王室とも交流が深い。 また、生き物文化誌学会の設立に尽力。現在同学会常任理事。
同学会誌『生き物文化誌 BIOSTORY』の編集委員でもある。「生物」ではなく「生き物」としたことには、カッパなどの伝説上の生物も含む意味合いを込めている。 近年では紀子妃とともに公務に従事している。2004年11月25日の記者会見では 「私個人としては自分のための公務は作らない。公務は、かなり受け身的なものと考えています」「依頼を受けて、意義のあることであればその務めをする。私自身はそう考えて今までずっと来ています」 と発言し、兄である皇太子徳仁親王の「時代に即した新しい公務を」との発言を暗に批判している。

翌年、40歳の誕生日を控えた2005年11月22日の記者会見では、「皇室の役割は天皇をサポートすること」との発言も残している。この折にはまた各国王族との交流を通じ、公務について模索しているという旨の発言、「私にとって非常に大切な友人で、信頼できる人物ですし、人柄もいい」と妹婿である黒田慶樹への信頼を語る発言もあった(毎日新聞2005年11月30日記事)。

2006年2月7日、紀子妃が第三子を懐妊との情報が宮内庁より発表された。9月6日午前8時27分、皇族では初めてとなる帝王切開により、身長48.8cm・体重2558gの第一男子・悠仁親王が誕生した。男子皇族の誕生は文仁親王以来41年ぶりである。

同年11月1日には日本人移住七十周年を祝うため、悠仁親王誕生のため訪問が延期されていたパラグアイを訪問し、ABCなど地元大手紙でも大きく報道された。親王到着の当日には、国中から多数の日系人が首都アスンシオンに集まり、親王を歓迎した。同国最初の日本人移住地であるラ・コルメナ(昭和11年入植)はじめ親王が訪れた各地では盛んに歓迎のセレモニーが行われた。

逸話

誕生・命名に関するもの

  • 独立前には宮号の候補として、上総宮、上野宮など、関東の親王が国司(守)に任官する国にちなんだものが検討されていた。
  • 宮家創設後は宮号の由来である秋篠が脚光を浴び、同地への旅行が流行し「大和路ブーム」が起こった。

人物像・事跡に関するもの

  • 祖父昭和天皇に幼少時、大変にかわいがられたことが知られる。天皇のひざの上は礼宮時代の文仁親王の指定席であったといい、ひざの上に親王が座っている写真(1970年1月皇居にて撮影のものなど。この写真には昭和天皇、香淳皇后、皇太子明仁親王一家、常陸宮夫妻が写されており、天皇は当時の礼宮文仁親王をひざに乗せてソファーに腰掛けている。天皇の左には皇太子明仁親王と常陸宮正仁親王、中央奥には紀宮清子内親王を抱いた美智子皇太子妃、皇太子妃の向かって右側に浩宮徳仁親王、常陸宮妃華子がそれぞれ立ち、前列右に香淳皇后がソファーに座っている。この一枚は皇室関係のアルバムに収録され、キャプションには「紀宮さまの初正月 礼宮さまもお兄ちゃんになられ、ちょっぴりおすまし」との文章が記された)も現存している。
  • 父明仁と母美智子が、乳母制度・傅育官制度を廃止し、3人の子を全て自らの手で育てたため、兄、妹と一緒に少年時代を過ごすことが出来た。反面、長じるにしたがい、同じ家庭で育った兄徳仁とのあまりの待遇の差にショックを受け、父明仁に「民間人になりたい」と度々直訴した。
  • 高松宮妃より有栖川流書道の伝承を受ける際には、「蜥蜴」などお手本にない文字の書き方を質問したという。
  • 七面鳥とバフコーチン種の鶏を掛け合わせ、食肉用鶏の新種バフロンズ種を作出した。鶏の起源について8000年前のタイが起源であるという学説を唱えている。また近年にはタイ・中国・香港の鳥インフルエンザウィルスの遺伝子を調査し、関連性がないことを証明した。この論文は米国科学アカデミー紀要(PNAS: The Proceedings of the National Academy of Sciences of the United States of America)に発表され、同機関のウェブサイトにても閲覧することができる。
  • 一般にはナマズの研究者として知られ、ナマズの殿下とも通称される。魚類については今上天皇との共同研究も行っている。2006年のパラグアイ訪問時には、現地固有種の1.5メートルを超す大型のナマズスルビ(淡白な味で、現地では重要な蛋白源である)を眺める姿が報道された。(サンパウロ新聞2006年11月4日、ロイター、共同通信時事通信2006年11月4日)
  • 東南アジアを訪れることが多く、現地で泥の川に膝まで漬かりながら歩く姿なども書籍掲載の写真に残されている。カンボジアを訪問した際にはトンレ・サップ湖でのフィールドワークを行い、フン・セン首相の招待を受け雨中漁法の見学などを行った。
  • タイ国王室との縁も深く、成婚の折にはシリントーン王女が式に参列した。国内でも、タイ大使館の主催によるシリキット王妃の誕生日を祝うチャリティコンサートにも一家で列席している。
  • タイのほか、パラグアイなど日系人が多い南米諸国との関係も深い。訪日した日系人の団体が秋篠宮邸を表敬訪問したこともあり、この折には日系人とのかかわりを受け継がせたいとの親王夫妻の希望により眞子内親王が接見に同席した。
  • 公務において放鳥したコウノトリが事故で死亡したことを兵庫県知事が謝罪した際には、「自然界に帰すということは自然の中で危険を乗り越えながら自ら生きること、今回のことは残念ですが自然に帰すということはこのようなこともあるということです」 と言って知事を慰めた。
  • 美智子皇后からは成人後、その細心な心配りと心配りが過ぎて害とならぬよう行き届いた配慮をしていた礼宮時代の姿を思われている(2005年10月20日皇后記者会見)。
  • 成婚を祝う記念番組の一部としてアニメ作品「平成のシンデレラ 紀子様物語」も製作・放映(フジテレビ系、秋篠宮夫妻の声は同局の笠井アナウンサーと石川秀美が担当した)されているが、関連商品の発売など二次利用は一切禁止された。
  • 私邸において茶会を催し、妹の清子内親王(当時)と友人である黒田慶樹の出会いのきっかけを作ったことが知られている。
  • 宮邸の庭に様々な植物を植えている。紀子妃がこれらの植物について詠んだ和歌も伝わる。
  • 徳仁親王人格否定発言の折には「せめて陛下と相談してから話すべきだった」と発言をしている。(2004年11月25日秋篠宮邸での誕生日会見。全文
  • 2006年には伊勢神宮第六十二回式年遷宮を長女眞子内親王とともに視察し、御川曳に参加した。(伊勢新聞2006年7月31日、伊勢志摩経済新聞2007年5月12日記事「華原朋美さんが伊勢神宮のお木曳に参加、一時パニックに」にて文仁親王親子の参加が言及)尚、2007年の式年遷宮には兄宮である皇太子徳仁親王が参加している。

著書

家禽関係の著書がある。

  • 『欧州家禽図鑑』(共著。写真と解説を執筆),1994年, ISBN 4582518133
  • 『鶏と人―民族生物学の視点から』,2000年, ISBN 4096260622

関連書

  • 『秋篠宮さま』(江森敬治、毎日新聞社)ISBN-13: 978-4620312033

このほか雑誌ANIMALにも推薦文を寄せている。

備考

政府による正式表記(内閣告示や宮内庁告示など)では皇族宮号が冠されることはない(「皇太子」を除く)ため、それらの告示が掲載される官報での表記は「文仁親王」とされ、「秋篠宮」が冠されることはない。ただし、同じ政府による表記であってもホームページなど「国民一般へのわかりやすさ」が重視される場面では「秋篠宮」の表記も用いられる。

外部リンク

上位
徳仁親王
皇太子
日本皇位継承権者
継承順位第2
下位
悠仁親王