宇治市立宇治小学校・黄檗中学校
| 宇治市立宇治小学校 | |
|---|---|
| 過去の名称 |
宇治郡第四小学校 広芝小学校 広芝尋常小学校 宇治尋常小学校 宇治尋常高等小学校 宇治国民学校 東宇治町立宇治小学校 |
| 国公私立の別 | 公立学校 |
| 設置者 | 宇治市 |
| 設立年月日 | 1872年6月 |
| 共学・別学 | 男女共学 |
| 学期 | 3学期制 |
| 所在地 | 〒611-0011 |
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京都府宇治市五ヶ庄三番割27番地 ![]() 北緯34度54分57.766秒 東経135度48分11.11秒 / 北緯34.91604611度 東経135.8030861度座標: 北緯34度54分57.766秒 東経135度48分11.11秒 / 北緯34.91604611度 東経135.8030861度 | |
| 外部リンク | 公式サイト |
| プロジェクト:学校/小学校テンプレート | |
宇治市立宇治小学校(うじしりつ うじしょうがっこう)は、京都府宇治市五ヶ庄にある公立小学校。略称は「宇治小」。
概要
明治5年に創立し、宇治市有数の歴史を誇る小学校である。市名と同名の宇治小学校を名乗っているが、宇治中学校のように宇治市中心部に立地しているわけではなく、宇治郡が校名の由来である。学校の敷地は萬福寺に隣接している。2003年には刃物を持った不審者が宇治小学校に侵入し、児童2人が負傷する事件が発生した(後述)。2001年に大阪教育大学附属池田小学校で発生した無差別殺傷事件(附属池田小事件)から2年しか経過しておらず、1999年に児童殺傷事件(京都小学生殺害事件)が発生した京都市立日野小学校にも近かったため、当時この事件は衝撃を与えた。
2012年4月には小中一貫校の「宇治黄檗学園」が校地に開校する予定で、小学校名が「宇治小学校」、中学校名が「黄檗中学校」へ決定した。
沿革
- 1872年6月 - 宇治郡第四小学校として創立
- 1872年12月 - 五ヶ庄字広芝院真光院へ移転
- 1875年5月 - 広芝小学校へ改称
- 1887年3月 - 広芝尋常小学校へ改称
- 1889年7月 - 六地蔵、志津川の小学校を分校とする
- 1892年4月 - 宇治尋常小学校へ改称
- 1897年4月 - 六地蔵分校を閉校
- 1897年12月 - 宇治尋常高等小学校へ改称
- 1941年4月 - 国民学校令により、宇治国民学校へ改称
- 1947年4月 - 学制改革により、東宇治町立宇治小学校へ改称
- 1947年5月 - 宇治小学校内4教室などを借用して宇治市立東宇治中学校が開校
- 1949年3月 - 東宇治中学校が独立校舎に移転し、借用状態が解消
- 1951年3月 - 町村合併に伴う宇治市成立により、宇治市立宇治小学校へ改称
- 1952年12月 - 校歌を制定
- 1953年3月 - 志津川分校を閉鎖
- 1956年11月 - 図書館を新築
- 1959年 - 鉄筋校舎3階建て(1期)新築
- 1961年7月 - プールを新設
- 1964年3月 - 鉄筋校舎(2期)を新築
- 1965年3月 - 鉄筋校舎(3期)を新築
- 1967年4月 - 宇治市立木幡小学校を校内に仮開校
- 1967年10月 - 木幡小学校を木幡に移転・分離
- 1968年 - 校舎を改築
- 1969年9月 - 校舎を改築
- 1971年4月 - 宇治市立南部小学校を校内に仮開校
- 1972年2月 - 南部小学校を移転
- 1973年1月 - 体育館竣工
- 1974年4月 - 宇治市立岡屋小学校を分離
- 1975年4月 - 宇治市立三室戸小学校を分離
- 1985年 - 大規模改造工事竣工
- 1991年 - 校舎を改築
- 1994年 - 大規模改造工事竣工
- 1997年 - 大規模改造工事竣工
- 2003年12月 - 不審者の男が校内に侵入し、1年生の児童2名が包丁で刺され負傷する事件が発生
- 2012年4月 - 宇治市立黄檗中学校を併設予定
不審者による児童傷害事件
2003年12月18日(木曜日)午後0時半ごろ、宇治小学校に刃物を持った男が乱入し、1年生の男子児童2人を切りつけた[1]。児童は負傷し、男は教諭らに取り押さえられ、駆け付けた警察官によって傷害の現行犯で逮捕された。
事件は北校舎2階西端にある1年1組(児童数35人)の教室で起きた[2]。給食が終わりかけの午後0時35分ごろ、菜切り包丁(刃渡り16センチ)を持った男が教室前方より侵入し、大声で叫びながら包丁を振りかざした[2][3]。 男は教壇の前にいた男子児童2人の頭頂部を切りつけ、軽傷(10日間のけが)を負わせた[4]。 1年1組の教室にいた担任教諭と指導補助教員が児童を避難させ、補助教員が職員室に通報した[2][3]。 その間に男は隣にある1年2組の教室に移動したが、担任教諭が包丁を持った手首をつかみ、駆け付けた教頭と教務主任らに取り押さえられた[2][3]。
犯人は近所に住む45歳無職の男で、京都府警宇治警察署の調べによると、精神科に22回入院し、17日に「被害妄想」と診断されていた[3]。
宇治小学校では当時工事のため、市教委のマニュアルに反して校内に3か所ある門がいずれも開いていた[4]。 また、2か所の門に設置されていた不審者の侵入を知らせるセンサーもスイッチが切られていたという[3][4]。
河村建夫文部科学大臣は19日、学校に配布した危機管理マニュアルの見直しと、省内に安全確保対策チームをして研究を進める方針を示した[5]。
主な進学先
宇治市では公立学校選択制が採用されていないため、卒業後は基本的に居住している地域に応じて以下の2校に分かれて進学する。
- 宇治市立木幡中学校(木幡地区)
- 宇治市立東宇治中学校(五ヶ庄地区)
ただし、2012年4月より、校内に併設予定の宇治市立黄檗中学校へ進学先を変更予定である。
周辺施設
- 萬福寺
- 宇治病院
- 東宇治コミュニティーセンター
交通
脚注
- ^ "小学校に刃物男、2人けが 京都"2003年12月18日付毎日新聞夕刊(東京本社4版)1面
- ^ a b c d "教室 恐怖と悲鳴"2003年12月19日付毎日新聞朝刊(東京本社14版)29面
- ^ a b c d e "45歳の男逮捕 前日「被害妄想」と診断"2003年12月19日付日本経済新聞朝刊(東京本社14版)43面
- ^ a b c "刃物の男乱入 2児けが 小学校、センサー音切る" 2003年12月19日付毎日新聞朝刊(東京本社14版)1面
- ^ "「マニュアル見直し検討」河村文科相"2003年12月19日付毎日新聞夕刊(東京本社4版)13面
参考文献
- 宇治市『平成22年度宇治市教育要覧』2010年
- 宇治小学校『小中一貫校準備広報 きずな』
- 宇治小学校百年史編集委員会『宇治小学校百年史』1973年5月1日
関連項目
- 京都府小学校一覧
- 文京区小2女児殺害事件(1954年4月19日) - 小学校内で起こったヒロポン中毒者による児童殺害事件。
- 京都小学生殺害事件(1999年12月21日) - 京都市立日野小学校(京都市伏見区)で起こった児童殺害事件。
- 附属池田小事件(2001年6月8日) - 大阪教育大学附属池田小学校で起こった小学校無差別殺傷事件(刃物によるスクールシューティング)
- 寝屋川市立中央小学校教員殺傷事件(2005年2月14日) - 卒業生が校内に侵入して教員を殺傷した事件。
